2020年1月29日
閉鎖しました。過去ログや掲示板もその内消す予定でいます。
2017年6月13日
「ユリトピア」というビアン百合ソーシャルネットのリンクを貼りました。僕も参加しています。
2017年2月4日
何も変わっていませんが本年もよろしくお願いします。
2016年2月2日
本年もよろしくお願いします。
2012年7月21日
あの黒歴史SNSこと『Girlx』が別の形で帰ってきた!
かのかのちゃんねるオープン!!
2012年2月8日
サイト内CSSマークアップ改良作業中。
2010年12月10日
あと半年は大丈夫(振り込んできました)
2010年7月19日
サイトデザイン改装中です。
2010年6月1日
チャットルーム必要ないなーと思って消しました。
2009年11月27日
チャットルームをつけました。
2009年11月17日
リンク間違い修正。
2009年11月16日
またしても引越ししました。これからもよろしくお願いします。
2009年2月16日
SNS『GIRLX』:1月31日から続いていたデータベースによる不調(生データのバグ)のため、凍結。経緯はgirlx.jpを参照。
2008年9月15日
リスタートしました。これからもよろしくお願いします。
2008年9月9日
前ブログ時のラブレター移植作業中です。
2008年9月9日以前
前サイトがperfume物件を扱ったという事で消滅しました。ラブレターやコメントについて必死にサルベージ中です。

漫画「空色ガールフレンド」感想

読み物
それはロミオとジュリエットを元にした作品である。ただし、この作品ではロミオは女性である。世の百合読みたち(ブログで百合作品の感想を書く人たち)の間で話題となっていないので自分が感想を書くしかないのだろう。

第一話、柏木樹里という小悪魔的に美しい女の子が、主人公がいる(そう、主人公である。主人公は主に男性キャラクターを指す)学校へ転校してくる所から始まる。主人公の名は広海。名字は渡瀬だが作中では重要とされていない。樹里は転校して早々とその小悪魔っぷりを発揮してクラスメイトの輪から外れる。それが小悪魔的に美しい樹里の処世術であったのだが、広海はサバサバした性格で、一人ぼっちの樹里に近づく。

それが正しかったのか間違いだったのか、わからない。

小悪魔的に美しい樹里の、小悪魔の部分の奥底にある、本当の樹里に広海はその行動で近づき、樹里は広海をお気に入りとする。樹里のお気に入りなイングランドの劇作家ウィリアム・シェイクスピアによる戯曲『ロミオとジュリエット』。自分は樹里だから「ジュリエット」、広海はロミ、という名前だからロミオ。

ここで重要な広海の過去描写が幼き頃の夢として出てくる。広海は王子様になりたかったのだ。そしてロミオとジュリエットの関係は進む。広海を独占したがる樹里、その前から広海が好きだった女の子。初めて触った樹里の肌。まあいろいろあるが中間は書かないでおこう。

全体的に散りばめられた『ロミオとジュリエット』のモチーフ。だからこそ、作中での文化祭でも劇で『ロミオとジュリエット』をやる事になる。ロミオ役は広海で、ジュリエットは樹里。劇は劇、そのはずだったが、本番にてジュリエットこと樹里はロミオこと広海にキスをしてしまう。そして樹里はクラスメイトからいじめを受けることになる。だが、樹里は真っ直ぐに表情を変えない。自分は間違っていないかのように。一方、広海は学校を休んでいた。樹里のキスのショックで学校に行く気がしなかったからだ。

広海が休んでいた一週間、樹里は無表情に、真っ直ぐ、いじめと立ち向かっていた。そこに広海が声を掛けたところで樹里の心は柔らかくほどけていく。

あのキスはショックだったのか。違う。ショックだったのは間違いは無いが、広海は樹里のキスを、樹里の思いを、好きだと感じ始める。

そして、試練は訪れる。広海の学校にいきなり転校してきた樹里。その背景には親の転勤があった。樹里にとって広海は特別な人間だった。だからこそ、もう、離れたくはない。

2人が選んだ、最後のデートは遊園地だった。そこで樹里はお土産屋でペアになった鍵を見つけ、購入し、広海の心に鍵を掛ける。それは心の鍵。2つとして同じ物が無い鍵で広海の心の錠に鍵を掛ける。


──今、ロミオに鍵をかけたの もうあたしにしか開けられない あたしだけ

広海も樹里に鍵を掛けようとするが、そのチャンスは訪れない。

デートが終わり最後の夜が訪れる。離れたらきっと樹里のこと忘れちゃう。そんなの嫌 ずっとロミオと一緒にいる だってだって 好きなんだもん……

ずっと樹里に振り回された広海は樹里にキスをする。広海は思う。毎日メールしよう、休みには会いに行こう。しかしそれは、半年で途絶える。よくある事。女子高に進学した広海はそう諦める。

だが、最後の章。2人は再会する。何故かショートカットになった樹里。漫画を読み込んだ読者だけがその意味がわかる。樹里は「王子様」を忘れないように、自分が「王子様」になったのだ。それは、誓い、だった。再開する二人。

セリフは引用しない。引用しないほうがいいだろう。
最後のデートで樹里が掛けた鍵が、解かれていく。解放。空色のように。




何にも負けない力を。意思を。この漫画から読み取っていただければいい。


JUGEMテーマ:同性愛/レズビアン/百合/ガールズラブ

映画「ブリュレ」感想

読み物
評価:
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ゼアリズエンタープライズ
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(2009-08-05)
コメント:ただただ純粋な、双子の物語なのだろう。それを最後まで見つめること。

ブリュレ、とは、プリンの表面をバーナーで焦がし、香ばしさを出した洋菓子である。

それは一種のファンタジーかもしれない。

幼い頃に家庭の事情でバラバラになった双子。主人公の双子の片割れ、水那子が骨壷を持って日名子がいる町にやってくるシーンから始まる。サブ主人公とも言える少年が水那子を日名子と間違えて、バスの定期パスを渡す、そこから物語は始まる。

日那子は放火犯だった。規模は小さいが自転車や学校の机を燃やしている。水那子と日名子が幼い時にわかれ、それが日那子に放火をやらせていた。それだけが、双子の絆のように。悲しいながらもそれしか日那子の心は埋まらない。放火しても埋まらないのだが。それが突然やってきた水那子の存在で変わっていく。だが、水那子は既に脳に悪性腫瘍が出来ており、約1ヶ月の命だった。それを日那子は知らない。

警察も放火犯が日那子だとし、追う。だから、2人で逃げる。どこに逃げるのかわからないけれど。行き場の無い二人。その旅路で日名子は水那子と誰もいない結婚式で繋がり、キスをし、日那子は水那子が来てくれたこそ、自分はもう放火しなくても済むと2人の未来の話をする。水那子は悪性脳腫瘍で余命幾許も無い。日那子はその事実を知り、水那子から離れる。水那子が来てくれたから日名子はもう小さな放火をしなくてもいいと思っていたのに。

行き場のない2人はどこにいくのだろうか。

この映画で語る事は無粋だ。何故ならば、純粋すぎるからである。双子というキャラクター設定で放火というのはリアルとは程遠い。だからそれは一種のファンタジーかもしれない、と書いた。

私はこの映画で泣きも笑いも驚きもしなかった。だが2人の果てを最後まで見つめた。ラストシーン前後、物語として悲しいが泣くほどのシーンは無い。それは「ブリュレ」と名付けられた映画の当然の帰結だからだ。ただ、最後まで見つめて欲しい。




「ブリュレ」映画撮影後に死去した林田賢太監督にこの感想を捧げる。




映画「水の中のつぼみ」感想

読み物
評価:
セリーヌ・シアマ
¥ 3,231

 小学生と高校生の間にはどうしようもなく断絶があり、惹かれあっても通じ合えない。そのような映画だ。主人公2人は同じ歳ではないが同世代である。しかし、恋愛観は小学生と高校生のように開いていて、埋まる事はない。若い年代には一刻も早くセックスしなければならないという世代的プレッシャーがある。人よりも早くセックスをした事がステータスになるからである。

セックスへの憧れ、でもそれには破瓜の痛みが伴う。高校生でも破瓜の痛みが怖くてセックスできない女性は多いのではないだろうか。そのような中で「水の中のつぼみ」という映画は一人の少女=小学生と、一人の女=高校生を映し出す。2人に共通するのはセックスがヘイトなものだと考えている事である。否が応でも与えられる性の情報、下らないと思っても引き離す事ができない。

この映画は全体的に男と言う生物を、またはモテないのにセックスの欲望がある女を哀れに映している。何とか工夫してセックスしようとするピザ女(少女の姉)、いい女とセックスできなかったからとピザ女とセックスする男とパーティーで女性下着を被って馬鹿騒ぎする男達。順応したくないが、それでもしなければならない。上手くやっていくには。

「水の中のつぼみ」はいわゆる百合作品であり、そのようなシーンが散りばめられている。百合が好きならば夢のような作品だろう。ヤリマン女が実は処女だと主人公が気づいてから物語は加速、少女は少女の視点で、女は女の視点で、分かり合えないと分かるまで突き進む。そしてラストシーン、ラストの1カットには少女から映画を見ている者へとプレゼントが待っている。「水の中のつぼみ」という題名、2人がレズビアンのようにいちゃいちゃする内容に惹かれた者全てをナイフで突き刺すような、プレゼントが。

追記として。youtubeに映画の予告編がアップロードされているが、本質を突いていない。見ない方が良いだろう。見ない方がラスト1カットでのショックを受けずに済む。

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