2017年2月4日
何も変わっていませんが本年もよろしくお願いします。
2016年2月2日
本年もよろしくお願いします。
2012年7月21日
あの黒歴史SNSこと『Girlx』が別の形で帰ってきた!
かのかのちゃんねるオープン!!
2012年2月8日
サイト内CSSマークアップ改良作業中。
2010年12月10日
あと半年は大丈夫(振り込んできました)
2010年7月19日
サイトデザイン改装中です。
2010年6月1日
チャットルーム必要ないなーと思って消しました。
2009年11月27日
チャットルームをつけました。
2009年11月17日
リンク間違い修正。
2009年11月16日
またしても引越ししました。これからもよろしくお願いします。
2009年2月16日
SNS『GIRLX』:1月31日から続いていたデータベースによる不調(生データのバグ)のため、凍結。経緯はgirlx.jpを参照。
2008年9月15日
リスタートしました。これからもよろしくお願いします。
2008年9月9日
前ブログ時のラブレター移植作業中です。
2008年9月9日以前
前サイトがperfume物件を扱ったという事で消滅しました。ラブレターやコメントについて必死にサルベージ中です。

「彼女から彼女への手紙」について

大人の人も未成年の人もいらっしゃいませ。

このサイト『彼女から彼女への手紙』では女性から女性へのラブレターや、悩み相談などを受け付けています。 もし貴女が、同性への恋愛感情で人には言えない、誰にも話せない、ましてや想い人である女性に心に溜まっている気持ちを打ち明ける事ができないのであれば、『彼女から彼女への手紙』はいつでも貴女のラブレターや悩み相談をお待ちしています。掲示板に寄せられた過去ログを読むだけでもちょっと気が楽になるかもしれません。

密かに恋している彼女宛てにラブレターを書いてみる?

というわけでさっそく気になるあの子へ秘密のラブレターを書いてみましょう。…とは言ってもいきなりは書けないものです。そこで、ノートやパソコンのメモ帳に書いてみて、その手紙をこの場所にコピー・ペーストするという方法を薦めます。他の人がどのようにラブレターを書いているのかを見てみるというのも良いでしょう。トップページのラブレター投稿窓口を用意しましたので、いつでもラブレターを投稿してみてください。

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袴田めら「この願いが叶うなら」内「うつくしいもの」

読み物
袴田めらはフェティッシュなシーンを描くのに向いている。その最たる作品が「この願いが叶うなら」内に収録されている「うつくしいもの」だろう。もう何度も繰り返し見ているのに飽きない。

制服でチュ 感想

読み物
制服でチュ  
これは読む脳内ドラッグである。ただ単に可愛い女子がキスしまくる写真集であり、これ以上何を語るべきだろうか。まずは買ってみて萌えていただきたい。

タカハシマコ『それは私と少女は言った』感想&タカハシマコ作品感想

読み物
 タカハシマコを過去作品から追っている僕が見て、この『それは私と少女は言った』という作品は間違いなく最高傑作であるのだが非常に難解な部分を持ち、タカハシマコを初めて読む人にはあまり薦められない。何故、難解な部分を持つのか。それはタカハシマコが得意とする技法にある。よって『それは私と少女は言った』を読み解くには過去作品の参照が必要になる。

まず、百合というジャンルにおいてタカハシマコは『乙女ケーキ』という短編作品集を出している。百合姫に連載された短編をまとめたもので比較的最近に出版された本である。恐らくこれを読めば『それは私と少女は言った』を読み解けるだろうと思うが、『乙女ケーキ』という短編作品集はタカハシマコが得意としてきた技法を“完成させた”後の作品集であり、『それは私と少女は言った』を読み解くための本としては向かない。もっと過去の作品から読まないと『それは私と少女は言った』は理解できないだろう。

タカハシマコの技法、それは記号化である。

タカハシマコは漫画のキャラを作る際、作品のモチーフまたはタイトルから逆算し、タイトルを擬人化したようなそのようなキャラで作品の中で演じさせる。「萌え」というものに自覚的で自身の絵を極限まで可愛くさせ、物語は更なる記号圧縮化へ向かっている。つまりキャラさえも記号として扱うのがタカハシマコの技法であり、最近になりそれは完成へと近づいている。漫画家なら誰しもそうなのだろうと思いがちだが、タカハシマコは何かに追われるように自分の作風を改造し続けている。

さて、タカハシマコを語るにはBLことボーイズラブ作品、18禁雑誌に連載されたロリコン作品、一般誌に掲載されていた思春期作品、百合雑誌に掲載されていた百合作品と4つの視点から見ていかなくてはならない。

BLに関して、タカハシマコは元々BL作家である。そしてショタ大好きという変態であり、キャラクターの改造と記号化はこの時点から始まっている。初コミックスとなる『魔法少年チャイナシュガー』はもう絶版で見ることが出来なかったがこのタイトルだけで「あ、コイツは変態だ」とわかるだろう。最近は『わぁい。』などの男の娘本が色々と出版されているが、1999年のコミックスである。もう初コミックスから可愛さを目指し始めている。『泣いちゃいそうよ。』と『野いちご心中』は同じく絶版(野いちご心中は携帯コミックスで見れる)で見れなかったが、『野いちご心中』の後書きにて後々に『乙女ケーキ』に繋がる一言を書いている。「少女だったことがあるから、手放しで『少女だいすき!』とは言えない」というものだ。だからタカハシマコがBLを書くときは遊びの部分が多い。BLはファンタジーとも何かの本の後書きで書いていたような気もする。つまり漫画という形を取った人形遊びをやっているのかもしれない。“人形”というモチーフはその後の作品で何度も出てくる。ちなみにタカハシマコは人形収集家で絶対に2体買って双子設定にするという。…うん、変態だ。BL作品集では『まっかなおとこのこ。』というBL短編集ではどんな事でも赤面してしまう男の子が出てきて(表題作・まっかなおとこのこ。)、夏でも寒がりで厚着をしている男の子が出てくる(さむがりやの三太くん)と、まあこれは極端な例だが極端に可愛くしている。本当に病的なまでに可愛い男の子の話を描いている。『ドーナツ通信』は18禁雑誌に連載されたロリコン作品の経験もあり、比較的最近の絵柄で書かれている。設定も高校生というのが多い。まあそういうオーダーだったのだろうと思うが、『ドーナツ通信』には重要な作品が一つあり、大好きな男の子に大好きな事が伝わらないから、大好きな男の子のものを桜の下に埋めて、最後に自分を埋めようという“死”に近いモチーフを使った『水玉サクラメント』は後の『乙女ケーキ』内『彼女の隣り』に繋がる。ポップさを目指していく内に、永遠、死、というものに触れてそれを描こうとするタカハシマコの姿が見える。『バナナはおやつに入りません』は『ドーナツ通信』の流れでタカハシマコっぽい可愛い男の子の話が見れる。『デビルくんとエンジェルさん』は…すばらしくタカハシマコっぽいストレンジ4コマなのでタカハシマコが好きならばゲラゲラ笑える。

さて、次。18禁雑誌に連載されたロリコン作品だが、思うにこれが一番タカハシマコが非道になっていく過程が見れる作品集だと思う。『女の子は特別教』『水色ノート』『冷たいお菓子』、最近になり『魔女系』というコミックスが発売されたが、これは昔の作品と今の作品の詰め合わせなのでちょっと置いておく。
タカハシマコのロリコン作品集で重要なのは基本的に「ロリコン(ペドフィリア)は相手の事を考えない」という視点で書かれているという事だ。それでいてタカハシマコも少女好きの変態なので作られた話は全て「こういうの好きでしょ?私も好きー、でも、キモチワルイよね」という複雑な気持ちにさせられるものが多い。『女の子は特別教』で重要なのはバカ話でありながらもタカハシマコが考える「萌え」について考えさせられる作品群、例えば虐待痣プリント付きセクサロイドの話だったり、大人の女から色んなものをマイナスして可愛くさせようという話だったりするのだが、チョイスするとしたら『髪長姫』『やさしくしてね』『人魚ごっこ』『かわいい家族』『好きになった人』、それと新装版で追加された『わたしのなかのよからぬものが』だろうか。特にエグいのは『やさしくしてね。』である。『やさしくしてね。』は女の子がキスする姿の短編表紙からの落差が大きい。女の子にストーカーしている男に、女の子が気持ち悪いからさっさとやらせてどっか行ってもらおうとする話なのだが、女の子がやさしくして、と言ったのにも関わらず男は乱暴に扱ってしまい女の子は男を嫌う。そして男は理想と現実のギャップに折れ「もういいよ、君は優しくなんかないし、もう君の事は見ない」と諦めるのだが、タカハシマコは容赦なく女の子に「優しいってどういう事? 優しくしてあげたなら優しくしてくれるの?」と追い詰め、男を泣かす。そう、結局ロリコンの願望など一方通行でしかないというのをタカハシマコはわかってて描いているのだ。『野いちご心中』での後書きに「少女だったことがあるから、手放しで『少女だいすき!』とは言えない」と書いていたように。バカな話も多いのだが、こういう作品を入れてくるという所にタカハシマコの作家性が見え隠れする。『髪長姫』は髪が早く伸びる女は生理も早いという話をモチーフにした話だが、これは後の百合作品集『乙女ケーキ』内『夏の繭』にて書き直されている。『人魚ごっこ』も性的虐待の匂いがするのに女の子は無垢のままでありそれが逆に痛々しい。『好きになった人』は都はるみの例の歌をモチーフに使い、昔の私を求める彼にさよならを言う話である。『わたしのなかのよからぬものが』は…『エオマイア』というタカハシマコにおけるエヴァンゲリオンのような長編を見てからのほうがわかりやすい。女の子が持つ静かな、しかしじくじくと陰湿な性欲の話である。

そして『女の子は特別教』で獲得した非道さは『冷たいお菓子』、そして『水色ノート』で昇華される。『冷たいお菓子』と『水色ノート』はほぼ同時期に描かれている。ただし『冷たいお菓子』は水彩全カラー6話収録であり、値段にしてみると高いのだが、『冷たいお菓子』に収録された話はどれも非道さにおいてかなりのレベルの高さを持っており、タカハシマコを理解するには読む必要がある。『あわあわ』は一見お風呂で少年少女がキャー!という話だが、少女のロジックが少しおかしい。それは父親にレイプ(恐らく未遂)されたからである。少年が女の子を襲おうとすると女の子は悲鳴を上げ、いたいよ、こわいよ、やめてパパ、ゆうこと聞くからぁ、ごめんなさい、ごめんなさい、と救い無く終わる。またちょっとSFな『(ニコ)』と繋がる窓の中に理想の少女を見て結果引きこもりになる話や、ロリコンの叔父さんに大人になった体で復讐し一人だけ葬式を挙げる(これは着ている服が白から黒に変わるという表現でなされる)話、大好きなパパに虐待されパパが浮気したから殺して冷凍庫に入れて保存する話(後書きで死んだ父の足をフェラする表現がしたかったとあるが許可がおりなかったらしい)、そういう話が詰め込まれている。最も重要なのが後書きであり、窓の中に理想の少女を見て結果引きこもりになる話の『ワクワク』にて「女に心の少年をもつ人がいるように、男にも心の少女を持つ人がいたら萌えるわぁと思って書いた話なんです。私の妄想ですが“萌え”って人でなしの心だと思っているので、大変申し訳ない気持ちです」と書いている。「“萌え”とは人でなしの心」だとロジックを組み、反映させたのが『冷たいお菓子』と『水色ノート』である。この時点でもうタカハシマコの作風は完成されたと言える。『水色ノート』にはバカな話も多いのだが当然エグい話も多い。『水色ノート』で最初に載っているのは狐の姉妹が人間に化けて堤防の橋の下で拾ったエロ雑誌で「すべての男の人は妹が欲しくて仕方が無いんだって、私には絶対にわからないけど」と500円で時間制限ありで妹になるという『妹屋』という作品である。『女の子は特別教』でも親に言われて売春する女の子の話が載っているが、更にポップ化&酷くなっている。売春する女の子の悲しみなどそこには無く、ポップ化で明るく、そしてペドフィリアの欲望の暗さを抉るように描かれている。しかしその頃流行っていた援助交際(未成年売春)を読み解くと『女の子は特別教』のその手の話よりか『妹屋』の方が援助交際の本質を描いているように思えるのだ。そしてペドフィリアという存在も描かれる。「お兄ちゃんには絶・対・服・従!」と狐のお姉ちゃんの台詞があるのだが、妹を買ったペドのお兄ちゃんに「お兄ちゃんの言う事は絶対だよ」と怖い台詞を言わせている。オチは…タカハシマコらしくバカっぽく〆ているが。他のバカな話も裏読むと怖かったりする。で『水色ノート』で最も非道なのが『となりのばんごはん』と『お兄ちゃんといっしょ』だろうか。
『となりのばんごはん』は何だかよくわからない神様にお金を全部渡してしまう父親に育てられている女の子と仲良しな男の子との話であるが、神様にお金を全部渡してしまう父親がいて、どうやってコンビニでご飯を買って食べているのかを少し想像すると複雑な気持ちになり、『お兄ちゃんといっしょ』ではなんでもお兄ちゃんの真似をしたがる妹と、何故かお兄ちゃんを虐待する母親の話である。重要なのが虐待する時に母親は赤面するのだ。そして性的な虐待もしており、なんでもするから許してという妹に対して母親から覚えた虐待を妹に向かって行う。かなり重い話なのだが、勘違いしないでほしいのはタカハシマコは虐待っ子萌えという属性を持っており、その萌え話を作ろうとなったらこうなったという…まあ、捻くれているのだ。『明日の情操教育』ではハム太郎擬人化させて嫌な話に仕立てているし、“萌え”の裏にあるのはこういうものだよというのを見せてくれる。それでいて『しましま』では…タカハシマコが沖縄に行って出会った少女をモチーフにした、キラキラと輝く性のファンタジーも収録されているのでタカハシマコは本当はこういう作品描きたいんじゃなかろうかと思ったりする。
そして『それは私と少女は言った』感想から離れすぎてしまったが、この『それは私と少女は言った』の元となる話が『水色ノート』内の『ココアシガレット』かもしれない。内容はロリ雑誌の作品なのでそういう作品だが名前に「鳩村先生」「すずめ」「つぐみ」「うずら」と鳥の名前を使っている。

ロリ作品集と多分同時期に普通の人向けの作品も描いている。主に2タイプに分かれるが『(ニコ)』『エオマイア』といった思春期を抉りだす作品と本当に少女漫画な『乙女座・スピカ・真珠星』、桜庭一樹と組んだ『荒野の恋』だろうか。桜庭一樹と組ん『青年のための読書クラブ』は…百合にカテゴリされ、ちょっとやっつけ仕事っぽい、あるいは桜庭一樹の作品を壊さないと恐る恐る描いた結果なので省略する。
『(ニコ)』は、いってしまえば将来犯罪を起こしそうな少年少女を監視し、条件適合したら“(ニコ)”という少女ロボットを派遣、それを誘い罠として少年少女を永遠の国ネバーランドで“隔離”するという話である。この“(ニコ)”を主軸として様々な問題を抱える子供たちがその問題と向き合い、あるものは立ち直り、あるものは逃避、つまりネバーランドで“隔離”される。現代の怪談話のようなものだ。そしてこの“(ニコ)”が『それは私と少女は言った』の中心人物である駒沢鳥子の元ではないかと僕は思う。というか『それは私と少女は言った』を読んだ直後、あ、これ『(ニコ)』だなと思ったので百合としての焼き直しなのかもしれない。
『エオマイア』は…タカハシマコの中にある、物凄く影響を受けた『エヴァンゲリオン』という作品をどうにかして描き上げて次のステップに行きたかったのだろうというタカハシマコの心の揺れが見える。商業作品でありながらエヴァ同人でもある。今回は関係無いので内容紹介は省略する。自分とは他人とは寂しさとは、というテーマである。
な『乙女座・スピカ・真珠星』は少女漫画でありながら、タカハシマコが今までに会得した記号化の技術を使っていて変な意味で面白い。そして「永遠」というモチーフを使っているのも興味深い。思うにタカハシマコがポップ化を目指すのは死に近づくことで「永遠」を手に入れたいのではないかと思う。

そして百合作品『乙女ケーキ』である。ロリ漫画時代で会得した技法をこれでもかと使いまくり、とんでもなくレベルが高い百合作品集となっている。『乙女ケーキ』に関して、その内紹介したいなと思っていたところに『それは私と少女は言った』という作品が投下されたのでどっちを先に紹介するか迷ったが、タカハシマコ作品を振り返る意味で『それは私と少女は言った』を先に紹介した方が良いという結論に至った。『乙女ケーキ』感想は次回に回すとする。

ここでやっと『それは私と少女は言った』の感想について語れる。先ずタカハシマコ作品でこれを最初に買ったものは凄いと思うだろうけどあまり理解できない。何故というと最初に戻るがタカハシマコの技術が物凄く鋭利だからである。鋭利過ぎると人はその凄さを感じとれない。だから予習として過去のタカハシマコ作品を見なければならない。

ストーリーラインとして、駒沢鳥子という何もかも完璧な少女がいて、マザーグースの詩をモチーフにした映画の主役に抜擢、試写会も行われ全国公開する直前、通学路に使っている(そして映画のシーンにも出てくる)踏み切りにて駒沢鳥子は5人のクラスメイトの前で自殺、その美しい顔と体をぐちゃぐちゃにする。駒沢鳥子に憧れる5人、映美(委員長でガミガミと五月蝿いから蠅と悪口を言われている)、自殺した駒沢鳥子の血を顔に受けた咲菜、駒沢鳥子に憧れ同じものを持つが自分を奪われるヒバリ、駒沢鳥子は先生が好きだったという秘密を知る事になる鳩村、そして駒沢鳥子と双子の関係にある鈴芽。そして謎の、死んだはずの駒沢トリコによる携帯ブログでこの5人は繋がる。
駒沢鳥子を含めこれら6人はマザーグースの詩をモチーフにし作られたキャラクターである。本当のマザーブースの詩はもっと続くのだがそれはこの作品とは関係が無い。

マザーグースの詩、(Who killed Cock Robin? 訳・谷川俊太郎)では最初に

  誰が駒鳥殺したの?
  わたし、とすずめがいいました
  わたしの弓矢で
  わたしが殺した

とある。だが、駒沢鳥子と双子の関係にある鈴芽は最終話に出てくる。これが仕掛けられたトリックだろう。そして駒沢鳥子は美しい少女であるから、皆から様々な形で憎悪を受けていた事が語られ、駒沢鳥子の喪失によりその憎悪と向き合うという意味で『(ニコ)』と同じような物語構造を持つ。

少女は殺されるべきなのだろう。美しければ尚更。タカハシマコは駒沢鳥子をさっさと殺し、そして5人の中の駒沢鳥子のイメージも殺す。なかなか殺意に満ち溢れている。それは匿名掲示板に「死ね」と簡単に書き込むように。

長くなったがこれで『それは私と少女は言った』の感想を終わりたい。



広島原爆ドキュメンタリー・再現ドラマ『少女たちの日記帳』 感想

読み物
 NHK 少女たちの日記帳 ページ
http://www.nhk.or.jp/peace/library/program/20090806.html

昭和20年8月6日午前8時15分、広島県立広島第一高等女学校の1年生223人は、爆心地から600メートルの場所で建物疎開の作業中に被爆、全員が亡くなった。この日、病気で休んでいた梶山雅子さんを始め、作業に行かなかった同級生だけが生き残った。当時2年生だった大野允子さんは、亡くなった1年生の日記帳をもとに「八月の少女たち」を出版。のちに他の遺族からも日記帳が寄せられ、現在、10冊が公表されている。学校生活、家族、友人のことなど、それぞれの日記帳には、戦争に追い詰められながらもせいいっぱい生きる少女たちのみずみずしい思春期の日常がつづられている。番組では、再現ドラマと10冊の日記帳、梶山さんら同級生、遺族の証言をもとに、4月6日の入学から8月6日まで120日間の少女たちの日々を描き、原爆によって断ち切られたものの大きさを伝える。

…広島原爆の日ということで『八月の少女たち』という本を紹介するのだが、先ずはNHKBSで『八月の少女たち』と『ヒロシマ、遺された九冊の日記帳』を元にドキュメンタリードラマ製作・放送された『少女たちの日記帳』という映像をどのような手段を使ってもいいので見て欲しいと思う。ちなみにNHKオンデマンドで有料配信されていて、試し見も出来るが、その試し見の映像は『少女たちの日記帳』の核となる部分ではないところを切り取っており、折角見るのならば前情報無く、最後まで見て欲しい。

『ヒロシマ、遺された九冊の日記帳』そして現在入手が困難な『八月の少女たち』の元となった十冊(その内1冊はその日記を書いた少女が眠る墓に入れられており九冊となっている)の日記の内容、つまり広島原爆投下前には生きていた数名の少女の証とも言える実際の筆跡が映像として見れるからである。少女たちの筆跡は丁寧で真っ直ぐであり、その内容は、少女たちの素直さを垣間見る事ができる。学校での事。少女たちが思う戦争の事。愉快な、そして立派だった先生の事。制服の夏服の事。許された範囲でのちょっとしたおしゃれ。防空壕の中での女の子だけの秘密の会話。再現ドラマではあるが、間には遺族の証言などが挟まれ、ドキュメンタリーとして見る事ができる。構成としては4月、5月、6月、7月、そして8月に入り、手作りの夏服がもうすぐ出来るという所で8月6日の原爆投下にて全てが焼き尽くされる。そう、8月6日を知っているだけに、見るものは日記が始まる4月から8月にかけて死へのカウントダウンのような重苦しい気持ちにさせられる。8月5日まで戦時中でありながらも学校での事や家庭での事を綴り、どんな時でも明るかった少女たちの日誌が、カウンターとして胸を打つのだ。
この再現ドラマは事実と断定できない、ifの部分が入っているが、それが一つのファンタジーとして、『八月の少女たち』『ヒロシマ、遺された九冊の日記帳』を執筆した大野允子さんの思いが見え、見る人の心を打つ。原爆の日から50十年後に届いた、その時は少年だった誰かが描いた、原爆で亡くなった少女の1枚の絵と共に。初恋と共に。ボロボロになってしまった夏服と共に。

なぜこれをこのサイトで紹介するかというと、百合というものはセクシャリティや萌えだけでは無いという事を僕自身が伝えたかっただからである。テーマはとても重く、軽々しく百合という言葉・ジャンルを使ってはならないが、百合の受容体を持っている者だからこそ原爆投下前のイキイキとした少女たちの心に共感するところがあるのではないかと僕は思い、同時に願っている。僕はまだ『少女たちの日記帳』しか見ていないが、これから関連書物などを集めたいと思っている。

話は変わるが、今年はある意味で特別な原爆の日である。去年の311東日本大震災による福島第一原発事故が発生したからだ。そんな今年の原爆の日にNHKでは原爆死没者慰霊式・平和祈念式を放送後『少女たちの日記帳』をNHKBSで放送したが、民放はオリンピックでの日本メダル獲得の話題を取り扱っていた。オリンピックという明るい話題に平和祈念式という重く暗いニュースは取り扱いたくなかったのだろうと思うが、民放テレビに少し絶望した日でもあった。何のためのBS民放なのか。ねえ。

映画『ワイルドシングス(wild things)』シリーズ 感想のようなもの

読み物
評価:
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ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
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(2002-04-19)

えーっと、あらすじとしては、
女子高生レイプ事件に仕組まれた陰謀と罠を描いたサスペンス作品。ブルー・ベイ高校の女生徒ケリーは、豪邸に母親と二人暮らし。ある週末、ケリーは憧れの生活指導教員サムの自宅を訪ねるが、その翌日ケリーの母が、娘がレイプされたと警察に訴え出た。小さな田舎町で事件はスキャンダルとなった。だが裁判は意外な展開を見せる。ケリーと同様、サムにレイプされたと証言していたスージーが、突如発言を撤回し、すべてはケリーの仕組んだ計画だったと明かしたのだ───とこんな風であり、ここから騙し騙され連続で誰が最後に笑うかというゲームが始まる。

…まあ大衆娯楽映画である。あるのだが、大衆娯楽映画はそれ故に誰でも楽しめるという性質を持ち、ワイルドシングスシリーズの核であるレズビアンという設定も自然と受け入れられる。というわけで僕が百合初心者に勧めるのは百合漫画ではなく、このような映画である。大衆娯楽映画であるのだから何も考えずに楽しんで見よう。どんでん返し多すぎるだろと思うだろうがまあそれはそれとして。
1作目で人気を得て、シリーズとしては4作続いているが、えっと、大体同じような展開なので(見も蓋も無いが本当にそうなので)好きな女の子が出てくるシリーズをどうぞ。

TVアニメ『ブラック★ロックシューター』

読み物
 この『ブラック★ロックシューター』という作品、その元は日本のイラストレーター、hukeによってデザインされたキャラクター、およびそれを元にした楽曲作品である。そしてTVアニメ化では微妙に視聴者と製作スタッフのズレが生じ、酷評も多いのだが、僕はこの作品を支持する。その理由は“少女たちの心の戦争”を描いているからだ。この日本社会にとって、本当の戦争は縁遠くリアリティが無いのだが、そのかわり漫画文化(特に少女漫画文化、その枝としての百合)が発展し、心の戦争というものの方が何となくリアリティがある。若い世代は戦争を知らないため特にその傾向が強い。そうした背景の中で生み出されたのが『ブラック★ロックシューター』というファンタジー作品であろう。

主人公であるマトは言う。

「傷ついてもいい、それでも繋がりたい。ちゃんと傷つけ合おう」と。

私たちがこれから向かうのは心の戦場である。『ブラック★ロックシューター』という作品を胸に抱えたならば、ちゃんと生き残る事ができるだろう。

映画『マイマイ新子と千年の魔法』 感想

読み物
評価:
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エイベックス・マーケティング
¥ 4,200
(2010-07-23)

 百合作品と言えば普通は女性同士の恋愛、または恋愛に発展するまでを描くものだが、その見方だけでは女性同士がただ触れ合う作品を見逃してしまう。一度基本に戻ろう。そういうわけで今回紹介するのは『マイマイ新子と千年の魔法』というアニメーション作品である。高樹のぶ子の自伝的小説『マイマイ新子』を原作とするアニメである。

舞台は昭和30年の山口県防府市。今から見ればとんでもなく田舎であろう。ただただ広がる麦畑と昭和30年に居そうな子供たちの姿がある。広がる麦畑の下には千年前の街があるという。そんな街に、額にマイマイ(旋毛)を持つ明朗活発で空想好きな少女、新子は暮らす。新子は大好きなおじいちゃんの語る千年前の町の、ひとりの少女を夢想してその暮らしを辿ってみるのだった。一方彼女の通う学校に、都会から引っ越してきた引っ込み思案な少女、貴伊子と出会い、親友になり、彼女を仲間に迎え入れるべく力を貸してゆく。新子のお陰で友達も増え、田舎の遊び方も覚え、仲間は町を探検する。ここの千年前には何があったのかという新子の想像に導かれて。そして千年前の風景、平安の時代とクロスオーヴァーするように、もう一つの物語が描かれる。

そのような物語だが、予告編も何も無しにこの映画を見ていただきたい。ただただ綺麗なアニメーション作品である。特にマイマイ(旋毛)にピーンとくるという新子の千年前の想像、その想像力。貴伊子が田舎で元気になっていく様、みんなで池を作るシーン、そしてちょっとの探検。

きっとこの作品は百合作品に中毒になっている者を正常に戻すだろう。

AMAZONアソシエイトリスト 2012/6

読み物
 トップページでランダム表示しているアマゾン広告のまとめ6月版。一応は僕のセレクションなのでハズレは少ないかもしれません。



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大北 紘子『裸足のキメラ』感想

読み物
 百合作品は男の扱いについて大きく5つのタイプがある。「男をサブ・エキストラとして扱う作品」「男を徹底的に無視する作品」「男を無視しないが必要が無く登場しない作品」「男を関係の障害として扱う作品」「男を敵対対象として扱う作品」。.
例えば百合好きの間では常識となりつつある『少女セクト』は「男を徹底的に無視する作品」に該当し、前の記事で書いた『GIRL×GIRL×BOY』は「男を関係の障害として扱う作品」に該当する。『GIRL×GIRL×BOY』の場合は最終的に男(一太)を関係の障害から関係修復の切り札として使われるが。

さて、『裸足のキメラ』はどれに該当するかというと「男を敵対対象として扱う作品」である。特にこの作者の場合は作品の中で男を嫌悪の対象とし、男の読者に対しても「男なんかにわかってほしくない」という話の作り方をする。

よって、男の私が『裸足のキメラ』という単行本と収録作について感想を述べるのは愚劣以外の何物でもない。ただ、この単行本を購入し、ここで紹介した、という事だけで単行本『裸足のキメラ』のクオリティは解ってもらえるだろう。そしてまだ新しいジャンルである百合において『裸足のキメラ』のような作品が生まれた事を嬉しく思う。

GIRL×GIRL×BOY 感想

読み物
評価:
KUJIRA
双葉社
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(2008-04-28)
コメント:いつでも凝り固まった認識を変えるのは新しい人であり、新しい人こそが次なる世代へと新しい見方を教えるのだろう。

 「GIRL×GIRL×BOY」、僕はこの漫画を見る度に新しい世代への希望を持つ。世界的に見れば同性愛に関する法律が出てきているが日本ではまだ無い。ただ、思わぬ方向からそこに手を伸ばそうとしているジャンルがある。漫画だ。少年・少女漫画の歴史については語ることは無いだろうが、「
GIRL×GIRL×BOY」のような作品が出てきたというのはある程度日本のセクシャリティへの理解の深さはあるのではなかろうかとも思える。

もう一度言おう。僕はこの漫画を見る度に新しい世代への希望を持つ。それは「GIRL×GIRL×BOY」という物語がキラキラと主人公達の心を描いているからだ。映画で綺麗な少女達に酔うのも良いが、このような作品を読むというのも重要ではないかと僕は思う。

幼少時、モテなくてデブで一太という男の子にいじめられていた風花はいつも利理という女の子に助けられていた。それから数年が経ち、モテなくてデブだった風花は体の成長と共に美しくなり、利理と付き合っている。だがいきなり利理は風花を拒絶し、一太の事が好きだと言う。うまく行けば別れられるはずだった(理由は後述)しかし思わぬ誤算が入る。一太は昔いじめていた風花の事が好きになってしまったのだ。風化→利理→一太→風花という何とも奇妙な三角関係が形成され、物語はしばしその状態で続く。普通なら対立だが、一太という男はいわゆる軟弱な女に持てそうな男で、対立ではなく、傍目から見れば仲良しに見える。だがそんな関係は長く続かない。物語が風花中心で回るため気付かないかもしれないが、利理は苦悩していた。それはTVの同性愛ドキュメンタリーである。それを見た利理はこのまま風花と付き合うのは良くないと拒絶し、それで一太に近づいたのだ。ホテルのシーン、3Pしようよと利理は答えが解っている賭けをする。当然ながら風花は傷つき一太と利理だけが残るが、普通ならば一太を悪者にするというのが漫画の作りであるがこの作者はそうしなかった。利理は一太に全てを打ち明け、そして一太の苦悩が始まる。好きだった風花は好きでもない相手と付き合おうとしている。苦悩、苦悩、苦悩。そして答えを出す。「スッキリしないのはモヤモヤしているのは決着なんかついてないから」そして一太は疾走する。何もかもを守るために。

このような百合作品は少ない。少年がキーとなる作品はいくつあるだろうかわからないが、少年をうまく起爆剤に使い、そして、それぞれの心の壁を壊していくのは見ていて気持ちがよかった。

僕も一太のようになれるのだろうか。いつもそう思う。


 

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